2009年より、今まで生活の一部となっていたアシュタンガヨガのスタジオを作ろうと決意。まだまだ勉強不足ですが、仲間と楽しみながら、アシュタンガヨガを広げていきたい。
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知っておられる方が多いと思いますが

4月18日12時6分

母は天に召されました。



18年間、肝硬変を患って、去年肝臓にガンが発見され、2月に手術をして、ガンは取れたのですが、
みるみるうちに他の臓器も悪くなり、ここ1年はそれはそれは大変でした。


私はかなりお母さんにべったりだったので、寂しさのあまり、気がおかしくなりそうでした。

去年の10月に、担当医から大体の事を聞き、目の前が真っ暗になって、
毎日泣いてました。


去年の12月31日に夜中に倒れて、救急車で運ばれてからは寝たきり状態になり、
ますます状態は悪化しました。


毎日が刹那的で、
何がなんだかわからない感じでした。


でも、私は必ず毎日病院に行って、母の笑顔を見ることを日課にし、
時間の許す限り、母のそばにいました。

私がインフルエンザにかかったときは見舞いに行けなくて、
母が心配で心配で、眠れませんでした。


まだ母がわりかし元気な時は
『あんたも疲れるから帰りなさい』だったのが

少しずつ、
『寂しい、帰っちゃダメ』と言うようになり、

2月頃からは、まともに話が出来なくなってしまいました。


お見舞い帰りの車の中で涙が止まらなかった時もあります。


『何で母がこうならないといけないのか』
『何も母は悪いことはしてないのに』
と、怒りで過ごした日もあります。


友達に話を聞いてもらって、泣き崩れてた時も。




先週から、ますます悪化してきて、病院からの夜中の呼び出しも。


4月15日の夜中に呼び出され、
主治医から『今日明日がヤマです』と。

涙が止まらなかったけど、しっかり母の手を握って、応援しました。
でも
『もう苦しみから抜けさせてあげたい』とも思ったり。

もう見てたらかわいそうでかわいそうで、何もできない無力な自分に腹が立ちました。


母は


すごくすごく頑張りました。

血圧、酸素も安定し、呼べば反応する。


また少し悪くなっても

安定する。。。。。

私もだんだん笑いが出てきて

耳元で『いつも頑張る人だったけど、ほんまに頑張るね』と伝えると


このときは目を閉じたまま涙を流してました。

相当しんどかったのでしょう。


『お母さん、大好き』
『お母さん、ありがとう』

何度も何度も耳元で叫びました。

片目を少し開けて、

聞いてるよの合図。


尿が出なくなったときに

『お母さん、おしっこ出てないじゃん、出して』
『おしっこして!!!!!』
と病室で叫んでたときはさすがに父に
『夜は大きい声で言うのはやめとけ』と注意されました。

階のフロアーに響いてたらしいです。


17日に主治医の先生から
『もう奇跡ですね、すごい頑張ってます』と言われ、
笑ってしまいました。

手を握って思わずブンブン振り回したときは、さすがに姉に注意されました。

小さい子の様に、
構って欲しくて仕方がなくなり、母を触ってないと落ち着かなかった。

姉と
『お母さん、このまま頑張るんじゃない?』と話してた矢先

18日の10時位から急変しました。
私は病院近くのコンビ二に行ってて、姉から電話があって慌てて戻りました。

父と兄は仕事で家に帰ってたので、急遽連絡。

呼吸の様子がおかしくなり、

私が見てもこれは。。。。という状態で。

11時過ぎから心臓マッサージも。

私は動けなくなり、部屋の片隅で小さくなってしまい、看護師さんに背中をさすってもらってました。

『父と兄が早く着いて欲しい。最期は家族全員で看取りたい』
こればかり願ってました。


やっと父と兄が病室に入った瞬間、心臓が停止しました。

少し様子を見て、動揺中の父が心臓マッサージの停止を告げました。

12時6分でした。

最期に家族全員で母を看取ることが出来て、本当に良かった。


まだ元気な時は看護師さんとも話をよくしてて
母は私の居ないときに
『すごいよくしてくれるんよ』
『毎日来てくれるんよ』
『末っ子だから寂しがりやなんよ、手がかかる』
『ヨガの先生しよるけん、今度きんさい』

とすごく母に良くしてた大好きな看護師Uさんに話を聞きました。

『娘さん、お母さん似ですね』と言ったら
恥ずかしそうに笑ってたみたいです。(実際はおそらく父似だけど・・・・)

親バカな母だけど、すごく嬉しかった。



今日、その看護師のUさんから個人的にメールを頂きました。

『猪上さんは本当に我慢強い方でしたね。。。仕事中、猪上さんの所へ行くと癒されてました。大好きなご家族に見守られて、幸せな気持ちで逝かれたことと思います。』(以下省略)


寂しがりやの母は、病院生活がきっと心細く、夜は特に寂しかったでしょう。

だんだん自分の体がいうことをきかなくなり、不安でたまらなかったでしょう。

本当は私と笑顔で話したくても、しんどくて出来なかったのでしょう。



母が逝く数日で、

母の死に様は生き様だと深く感じました。

やるといったらやる人だった。

他の看護師さんにも
『ここまでよく耐えれたと思う。本人はいわんかったけど、相当しんどかったはずよ』
と言われました。


主治医のM先生。
たまたま同級生の先輩で、同級生が、私の気持ちや状態を色々と伝えててくれてたみたいで、本当によくして頂きました。
看護師さんからの信頼も厚く、何かあればすぐに駆けつけてくれました。
私の母も
『先生、可愛いんよ』とM先生が顔を出すと嬉しそうでした。

ここ数ヶ月はいい話を聞けなくて、M先生と顔を合わすのも嫌になってましたが、
主治医がM先生で本当に良かったです。

夜中や明け方ではなく、昼間に逝った母。
いつも周りに気を使ってた母らしいです。






私の母は

本当に偉大でした。

かっこよかった。


愛が溢れてて

いつも自分の事は後回しで。


私は母の娘であるのが誇りです。




寂しくて寂しくて仕方ない気持ちはどうしようもないし、
悲しさでいっぱいだけど、



少しずつ


少しずつ。




色々お通夜や葬儀のことで連絡を頂き、ありがとうございます。

我が家の方針で 家族葬です。

電報、メール、ありがとうございます。




また、母のことについて、書こうと思います。



大好きなお母さん。


私がプレゼントした日記帳が出てきました。

でもたった5日くらいしか書いてない。。。。(笑)



最初のページに谷川俊太郎さんの詩が書かれてました。





法子ちゃん、有難う!

おかねでかえないものをわたしにください

てでさわれないものをわたしにください

めにみえないものをわたしにください

かみさま もしもあなたがいらっしゃるなら

ほんとうのきもちをわたしにください

それがどんなに苦しくても

わたしがみんなといきていけるように!



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2011/04/21(木) 02:19 | | #[ 編集]
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2011/04/22(金) 14:15 | | #[ 編集]
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