2009年より、今まで生活の一部となっていたアシュタンガヨガのスタジオを作ろうと決意。まだまだ勉強不足ですが、仲間と楽しみながら、アシュタンガヨガを広げていきたい。
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ふと目に留まった言葉です~


 「禅」にすこし詳しい方でしたら、「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉をご存じでしょうか。

               禅の神髄は、文字では言いあらわせない、いったような専門用語です。

          しかし、もっと詳しい方なら、じつは禅にはあふれるほどの言葉がうずまいている印象を

          お持ちになっているかも知れません。


      いわゆる『禅語録』なるものには、おさとりを得る瞬間の言葉のやりとりが詰まっています。

             私 はそれらを見るとき、いつもふたつのことをを連想します。

          ひとつはプロポーズ。もうひとつはジャズです。



          さて、たとえばプロポーズならこんな具合でしょうか・・





              つきあって2年の2人。ある夜、海の見える公園で、彼はついに切り出します。

              「もう君しかいないと思っているから。ずっと一緒にいてほしいんだ。結婚してください」

              彼女はすこし驚きますが、もうずっと昔から決めていたような顔でうなずきます。





          はて、どこにどういった共通点がありますでしょうか・・



          まずこの会話、この2人でないと成り立ちません。また、この瞬間でないと成り立ちません。

          たとえばこの光景に感動した男性が、自分の彼女におなじ状況でおなじ言葉を言っても、

          プロポーズを受けてくれるとはかぎりません。

          また、この2人でも、1週間前ならまだうんと言わなかったかもしれません。1年後だったら、

          もう別れてしまっているかもしれません。



          ここがポイントです。「禅」の考え方に通じるところです。

          「禅」の場合は、これを普段の生活にあてはめます。くり返しに見えても、昨日とおなじこと

          をしても、すべて違うのです。じつはそのときそのとき、いちばんベストと思えるものを、

          自分の精いっぱいの力でやっているわけです。毎日とは、その蓄積のことです。

          ジャズで言えば、即興演奏の連続です。



          「ジャズに名曲なし、ただ名演奏があるのみ」 という言葉があります。

          これを禅にあてはめたら

          「禅に名言なし、ただ名場面があるのみ」 となりますでしょうか。



          言葉や行動がなければ、愛もおさとりも伝えることができません。

          ただ、そのときの状況や、そこにいたる積み重ねを見ないで、言葉や行動だけをまね

          しようとしても、うまく気持ちは伝わらないでしょう。

          「不立文字」は、そこへの注意をうながします。名言だけではもう1歩とどかないのです。



          名場面といっても、特別なことではありません。

          くり返しに見えてじつは1度きりの場面がつづく、この私たちの日常のことをいいます





すごくわかりやすい。タイミングってこんな感じだ

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